電車ではなく気動車です、という指摘の気持ち悪さ

100年以上も前の東海道線京都〜大津間は、京都〜稲荷間が今の奈良線、稲荷〜大津間はほぼのちの名神高速に沿っていた。トンネルを掘る技術が無かったのでこんな遠回りを強いられた。
この稲荷〜大津間、今でも道路としてほぼ廃線跡がそのまま残っている。道路が無い奈良線から分岐する所でも、公園や家の境界にはっきりと線路があった名残が今も残る。逢坂山のトンネル西側だけは、名神に埋もれて永久に姿を消した。