被災地探訪

先日11日、折角岩手に来たということで震災の被害に遭った沿岸部に行ってみることにした。よく報道などで見る機会はこれまでも散々あったが、一度は実際にこの目で見ておきたかった。

大船渡市の盛駅気仙沼線三陸鉄道の乗換駅であったが、震災以降全く列車は来なくなっていた。現在気仙沼線側はBRTが運行するようになったため列車は来ないものの普通に券売機で切符が買え、三陸鉄道側は来月からここを含む一部区間が復旧、2年ぶりに列車が帰ってくる。
この近辺は海岸から少し離れているものの、特に南の方は津波が押し寄せかなりの被害が出た模様。現在その面影は殆ど無いが、漁港辺りは流された建物の跡地や折れ曲がった看板、名前部分が無いバス停など爪痕が残る。




陸前高田市の旧陸前高田駅前より。最早何があったのかも分からないほど完全に何も無くなり、どこまでも更地が広がっていた。自分のような以前を知らない身からすれば、本当にここに町があったのかと想像することすら出来ないほど。



その時を迎えた一本松前には多くのマスコミが集まっており、中には遠く大阪のMBSの姿も。松を写すカメラと祈る人々を写すカメラが大体半々程度。
しかしまあ、この松も罪な存在である。これがあるからこそ県外から観光客が集まってはくるが、ここまで維持するまでに1億5000万もかかっており、しかももう自然の木ではない。数百万程度ならまだしも、人よりもただの木、それも1本だけに仮設住宅が何棟も建てられる金をつぎ込んでいるのである。一応市側は募金で賄うこととしてはいるが、案の定とても足りているとはいえない状況。尚、マスコミからすれば賛成派が表の意見、反対派が陰の意見とされており、反対意見を取り上げるのはせいぜい週刊誌程度で特にテレビだと殆ど報道されない。もしかするとこういう流れになるのは広告代理店辺りも絡んでいるのかもしれない。この時も随分長い間祈っている人々がおり、同時にそれを延々撮り続けるテレビカメラもいたため、てっきりこの祈る人々はマスコミか広告代理店が仕込んだサクラなのかと思ってしまったほど。
有名になる前に誰かが切り倒すか自然に倒れてきれいさっぱり無くなっておけば、或いは最初から全部流されていればこんな問題も起きなかったと思う人々もいることだろう。だがもしこの木が無ければ、恐らく今ほどの知名度も無いだろうし、一部遠方の人々からはとっくに忘れ去れていたかもしれない。これがあるからこそ、全く縁もゆかりもなく全然詳しくない人々でも「あの松がある町」で通じる。一見すればただの木だが、実に様々な問題・可能性を秘めているのである。



解体中なのは旧市役所。現市役所は既に高台に移転しており、ここから歩いて20分以上はかかる。BRTのバス停や岩手県交通のバス停も高台にあり、この市街地部分のバス停は殆ど無くなっている。




夜には釜石を訪問。釜石駅より西側の釜石線沿線は比較的津波被害が少なかったようで古い建物も残っていたが、東側は悲惨な状況。写真のように更地になったのはまだいい方で、今でも解体されず放置されたままの建物が少なくない。一方で写真のJAのように流されなかったが故に復旧することが出来、当地で営業を再開する事業所もある。



駅前ではキャンドルナイト。人々は震災後駅前に設置された慰霊鐘を撞いて祈りを捧げていた。