静岡→甲府

静岡から、沼津方面を通って富士山を半周し甲府へ向かう。といっても、沿線の殆どの地域が過去に一度行ったことがあるため、新鮮味というものはあまりなかった。

しずてつジャストラインの静岡相良線用のガーラ。貸切からの転用車で、本来は貸切仕様の専用装備であるリア二分割ガラスの間に付けられた行き先表示が新鮮で、意外とさまになっている。しかし、初代ガーラを貸切から乗合に転用する例はよく見られるが、2代目を転用する例は聞いたことがない。車齢的に転用するには早すぎる気がする。



ハゲハゲで全然読めないが、由比町にある富士急静岡バスの寺尾橋バス停。富士急グループのバスでは最西端、且つPASMOエリアでも最西端、且つ東京から東海道方面のバス路線が途切れる場所として、周りに何もない割にその筋からは超有名なバス停。ここから西への路線バスは興津まで一切繋がっていないので、乗り継ぎ派はおとなしく歩道がないバイパスを歩いたり、江戸時代のように薩埵峠を越えたり、バスを諦めてJRに飛び乗ったり、或いは裏技として興津にある健康ランドの送迎バスや蒲原から東名ハイウェイバス急行便を使ったりと、人によって様々。清水方面行き・次は大沢川、なんて書いてあるものの清水方面が廃止されたのは10年以上も前、それも廃止直前は1日1往復の免許維持路線だった。時刻表が貼ってあった跡も既に消えかかっている。



臨時便なのか、「富士急静岡バス」の方向幕を出している。しかしよく見るとこの方向幕、元々書いてあった富士急「行」・FUJIKYU「KO」の部分だけ消して、その上に「静岡バス」と無理矢理入れられている。富士急行本体から静岡バスへの完全移行が行われたのは10年前なので、その頃から方向幕を使い回していることが分かる。



現在リニューアル工事が急ピッチで行われている、富士急行富士吉田駅改め富士山駅。デザインプロデュースを担当したのはあの水戸岡鋭治、最近は下吉田駅富士登山電車・KABA BUSなど、富士急での仕事が急増している。



韮崎駅の近くにある、阪急グループの創設者・小林一三の生家跡、といっても小さな石碑が一つあるだけ。阪急だとこの地域では馴染みが薄いからか、宝塚歌劇の創設者という肩書きになっている。市役所にはその複雑な家系についての研究が展示されており、卒論で同じく研究した身にとってかなり勉強になった。



山梨交通のラッピングバス。前までラッピングすることに加え、わざわざホイールまで塗装してある。今では塗装しないことが主流である中、随分と手間も金もかかっている。