撮影写真より


名鉄バス足助バスセンターにあった路線図。現在も夜間停泊が行われているようだが、窓口機能は既に閉鎖されている。名鉄豊田線が豊田新線となっているため、この名前を使っていた86年以前のもの。何故か書かれている本線の名古屋・岐阜は勿論新名古屋新岐阜の頃。01年に廃線となった三河山線の三河広瀬・西中金もある。愛知県勤労者いこいの村・あやど高原民宿村・スネークセンター・スケートセンター・勘八牧場といった、既に無い施設も多い。
オレンジの線は名鉄バス。現在は全て豊田市となった奥三河北部のバスは、当時は全て名鉄バスだった。現在も名鉄バスとして残るのは、足助~東岡崎・足助~則定~豊田市駅だけ。他の大多数はとよたおいでんバスに代替されたが、ルートがこの頃と異なる区間もある(力石~豊田市方面、榊原~新盛)。豊田線の横のバス路線に「至名古屋」と書いてあるが、この頃は星ヶ丘方面への路線が存在し、更に昔は現在は高速バスとなっている名古屋~飯田の一般道経由の特急バスが、名古屋から足助・稲武を経由して運行していた。