この日も18きっぷ消費のため、2週連続で名古屋方面に。途中までは予定通りだったが、午後以降、東海道線は岐阜で踏切トラブルによる数分〜20分程度の遅れが発生。夜までそれを引きずっていたため、帰りは予定よりも1本早い便に乗ることに。夜の大垣→米原間の列車は全て快速として名古屋方面から直通しているので、幾ら遅れているといえど他の便で大垣に先回りしたとしても、いずれこの便に乗ることになるので、他の大垣行きは無視して最初からこれに乗ることに。3分前に大垣行き快速が出ていたおかげで驚くほどガラガラ。
穂積までは飛ばしていたが、大垣到着前によりによって18きっぷの鬼門上である大垣〜垂井間でまさかの人身事故。当然全線ストップ、電車も前が詰まっているので駅手前の何も無いところで止まった。しばらくすると駅までは動けたが、この先は最低1時間は止まることも覚悟していた。無論大垣か米原で進行不能という可能性も十分あったが、ここでアナウンスがあったのが、関ヶ原までは別の線路を通り関ヶ原から本線に戻ることで運転を続行出来るという。いわゆる新垂井経由である。
大垣〜関ヶ原間は通常の垂井経由とは別に、下り米原方面行きのみの片道だけ、旧新垂井駅跡を通って大きく迂回する線路が存在する。戸籍上はここが正式な東海道線の下り線で、垂井駅の下り線は垂井線という普通列車専用の別の路線。ここは速度が出せないため、現在も特急列車と貨物列車は全て新垂井経由だが、逆に普通列車は垂井駅のこともあり新垂井は先ず通らない。
今回は緊急事態、しかも丁度正規の下り線で迂回出来るピンポイントな区間で事故が発生したため、普通列車で新垂井を経由するという、偶然ながら貴重な体験が出来た。夜なのであまり見えなかったが、どんどん町の灯りが遠ざかる光景や、東海道線では先ずあり得ない単線走行といったところは新鮮だった。垂井駅への客は関ヶ原で待っていた大垣方面行き列車に乗り換えて折り返す、これは戦前に垂井が上り駅だけになった時と同じやり方。どうやら後がつかえていたからか、その後近江長岡で同じく新垂井を通った特急列車と貨物列車を待避し、無事米原到着。踏切トラブルの分も含めて30分以上遅れ、結局予定通りの時間に。逆に名古屋方面から1本遅い列車に乗っていたらどうなっていたか分からないが、当該列車も新垂井経由で切り抜けた模様。
一方で迂回区間が無い上り名古屋方面は、各駅に列車が止まっていたのでかなりの遅れが発生、一部は大垣で運賃打ち切りになった便もあった。運転再開は事故から3時間も経った22時なので、帰宅困難になった18キッパーも多々いたと思われる。