復路は中央本線を利用。往路と同じでは面白くないのと、以前松本からの帰りの際に当初利用する予定だったのが流出事故により変更することになったことへの代替が理由。
スタート地点は、新宿などの23区内ではなく当日の距離をより縮められるよう八王子に設定。最初は順調だったが…。
八王子→高尾
最初は中央線快速、といっても2駅しか離れていないので殆ど乗っている実感が無い。たった5分でもう到着。
高尾→大月
ここから車両は長野支社の所属になるため、それまでの中央線快速(E233)から古くさい115系になり、一気にローカル線に早変わり。乗客は大半がハイカーと思われる身なりで、沿線は多くの撮り鉄が狙っていた。
大月→笹子
大月で途中下車しバスへ。ここで乗るのは富士急山梨バス新田線、大月駅からほぼ全線で国道20号線とその旧道を走行し、笹子トンネルの手前、笹子峠の登山口に当たる新田へ向かう路線。国道は大したこともないが、旧道区間はバス1台分しかなくかなり狭い。割と長いこと乗ったものの全線通して乗客は自分合わせてたった2人だけ、これが地方のバスの現状。ちなみに大月駅〜笹子駅間の運賃は600円。
甲府→塩尻
50分の待ち合わせ。小淵沢方面は20分ほど待てばいいが、先の長野方面はかなり待たなければならず、バスを撮って時間を潰す。この便はロングシート編成、その上結構車内が混んでいるため終始立ちっぱなし、体力が大きく減っていく。
塩尻→奈良井
1時間半の待ち合わせ。元々の予定では、この辺りでの食事と設定していたが塩尻駅周辺には何も無いため、15〜20分ほど歩いて国道沿いのどこかで食べようと思いこれだけ時間を取っていたわけだが、実際はここから雨が激しくなって徒歩どころではなくなり、又駅構内に1分で出てくるそば屋があったため、結局駅から移動せずここで食事をとることに。こうなるのだったら甲府〜韮崎でバスを使っておくべきだった(この場合だと30分待ちで済んだ)。
塩尻からは市のコミュニティバスで奈良井方面へ。市街地を抜けると国道19号線を通り、時々現れる旧道があればそちらを通る。旧道は中山道の宿場町となっているため幅が狭く、その上路駐がいるので一部相当ギリギリが区間があった。奈良井で下車し、江戸時代当時からあまり変わらない奈良井宿の町並みをちらっと見物してとっとと駅へ向かう。
奈良井→中津川
中央西線は東線と比べて普通列車が大幅に減り、車両も2両しかないのでかなりの混雑。袋に入れた自転車を持つ客が多かったが、サイクリングでもしていたのだろうか。
奈良井で特急の通過待ちをするものの、特急が遅れていたのでこの列車も5分程度遅れて発車。これくらならまだ良かったが、同じ頃にこの先の中津川〜釜戸間が豪雨で運休という情報が入る。再開されない限り前の列車が詰まってくるのでどこか手前の駅で止まることになることを覚悟していたが、案の定野尻という何も無い駅で運行停止。出ようにも再開次第発車するので乗り遅れる可能性があるので動くことも出来ず時間だけが流れたが、幸いにも既にこの時中津川の雨は止んでおり、結局運休から2時間後に再開、この列車も74分の停車ののちようやく運転再開。直後に南木曾の先日土石流が発生した現場を通過、線路こそ復旧しているものの並行する道路の橋はまだ曲がったまま。流れてきた岩も多数残されておりその無残さから多くの乗客が見入っていた。
中津川→名古屋
ここから中央線は名古屋エリアとなり、直通列車も出てくる。この列車は快速と名乗るものの、飛ばす駅は4駅ほどしかなくあまり意味がない。多治見まではあまり変化が無かったものの多治見から急に混み出し、以降名古屋までほぼそのまま。名古屋到着は予定から1時間半も遅れた。
名古屋→大垣→米原
食事をしてから新快速に乗車。このまま行けば大垣・米原でタイミングよく乗り継げるはずだったが、甲府以西はバスを除きほぼずっと立ちっぱなしだったため疲労が酷い故に途中でかなり深く寝てしまい、起きたのは大垣到着の瞬間。寝ぼけたままホームを移動し丁度JR西日本の電車が見えたのでこれだと思い近づいたものの、これは罠。米原→大垣の便であり、折り返しはこの直後ではなく翌日なのでこのまま回送、実際の米原行きはその隣のホームにいた。戻ろうとしたもののこれが丁度「ムーンライトながら」に乗り継げる便だったためながら目当ての大量の降車客に阻まれ身動きがとれず、米原行きはそのまま発車。1本余裕を持っていたためこの列車が京都・大阪方面に連絡する最終ではなかったが、この辺りからまた雨がかなり激しくなりまた運休するのではないかという不安がよぎる。もしここで運休となれば野宿決定という窮地だったが、何とか米原行きがやって来たため滑り込み、もう寝ないために敢えてずっと立っていた。