撮影写真より


岐阜市営バス。長らく岐阜市内をくまなく運行していたが、赤字により徐々に民間の岐阜バスに譲渡していき、05年に残っていた路線・車両を全て譲渡し廃止・解散した。今でも車両や緑の看板のバス停などに面影が残っている。
車両は中型車を除き全ていすゞに統一。これは当時隣の各務原いすゞのバス工場があったためと言われているが、最後の10年間の車両導入はUDの中型車のみでいすゞは全く入らなかった。岐阜バスに譲渡された車両の大半は、車体の一部分だけ岐阜バスカラーに変えた折衷塗装で使われたが、中には早い段階で当時の旧岐阜バスカラーに全塗装された車両や、後々に現在のカラーリングである名鉄グループカラーに変わった車両、折衷カラーのまま同じ名鉄グループ宮城交通に支援物資の名目で移籍した車両もいる。
岐阜市営の解散により、元々からかなり少ない東海・北陸地方の公営交通は名古屋市ただ一つのみとなってしまった。



最終日に運行されていた花バス。このように廃止になる際に車両を満艦飾にすることは路面電車でも時々見られる。ちなみに撮影地はJR岐阜だが、この数年後に大規模な再開発が行われ、庭園や金ぴかの信長像、ペデストリアンデッキに屋根を備えた全く新しい駅前に生まれ変わり、当時の面影はほぼ無くなっている。