三重県と滋賀県の境にある、東海道鈴鹿峠の三重県側。この場所には東海道五十三次の坂下宿があり、峠越え手前の休息地としてかつては賑わった。明治に入り、東海道線・草津線・関西線の鉄道が難所の鈴鹿峠を避けるルートを軒並み形成したため宿場は廃れ、今となっては僅かな看板と石碑以外は殆ど面影が無くなり、店すら全く無いため、単なる山あいの集落でしかなくなってしまった。隣の関宿は、積極的な町並み保存の結果、江戸時代の風情をそのまま残しているが、それとはあまりにも対照的。
バス停に伊勢という旧国名が付く通り、元々ここを通っていたのは国鉄バス・西日本JRバス。亀山から峠を越えて水口・草津へ向かう亀草線で、国鉄バス時代から既に峠越えの便は少なかったが、代わりに三重県内で完結する亀山~関~坂下の区間便が多数設定された。
JRバスは'97年に三重県内の路線を全て廃止し、亀山~坂下は三重交通に移管。その三重交通も'07年末に更に亀山市に移管され、亀山市コミュニティバスのうち西部ルートとなった。運行受託は引き続き三重交通が行うが、この際に亀山側の起点が亀山駅の北にある総合保健福祉センターに変更され、亀山駅には行かなくなった。
現在の西部ルートのうち、坂下発着の便は一日4往復のみで、うち夕方の1往復は関駅発着の短縮版。日祝は全便運休となり、坂下宿は五十三次の中でも公共交通でのアクセスがトップクラスに困難な宿場町。
バス停は坂下の中心、公民館の前にあり、ここのスペースを使ってバスが折り返す。標柱の隣にある囲われた空き地は、かつて国鉄バス時代から使われた車庫が存在したが、これもここ数年の間に解体されてしまった。