地図より


京阪の土居~のち京橋となる蒲生間は、開業当初は現在よりも西側を通っていた。昭和初期に高架で現在のルートに変更し、その廃線跡は土居~滝井と森小路~蒲生が道路に転用されたが、残る滝井~森小路は今でも住居の区割りではっきり残る。さすがに100年近く経っているため、一部は区割りも変更された敷地になっているが、地図で跡を辿るには十分なくらい面影がまだまだある。
現在の京橋の両サイドにあった蒲生~野田橋も現在と経路が異なるが、こちらの廃線跡は全区間道路で残る。