地図より


阪急西向日駅。この駅の構造が、かつてここから東に分岐するよう計画されていた名古屋急行電鉄構想に対応するものだったらしいが、詳細は不明。
名古屋急行電鉄は、阪急京都線がまだ新京阪だった昭和初期の立案。西向日から現在の名神高速と同じルートで、当時馬場というターミナルだった大津の膳所まで進み、そこから国道1号線・8号線沿いに草津野洲野洲から東に逸れ、今の八日市駅から南に位置する南八日市に。以降はほぼ直線で、石榑峠をトンネルで越え、現在のいなべ・愛西市佐屋を経由して、現在の金山辺りに名古屋側のターミナルを作る計画。大阪方面からの直通列車を通すつもりだったが、あまりにもそれだけに傾倒した結果、沿線は今でも田舎ばかり。
世界恐慌により京阪の業績が悪化したことで、全区間未着工のまま計画は消え去った。もし出来ていても、のちに登場する新幹線に果たして抵抗出来たかどうか。そもそも新幹線の元ネタ・弾丸列車の京都~名古屋間のルートはほぼ丸被り。大阪・京都~八日市やいなべ~名古屋は、今でも直通の鉄道がないので多少は使われたかもしれない。
尚、計画にあった石榑峠を貫通するトンネルが国道バイパスとして実際に開通したのは、計画から80年後の2011年。昭和初期の段階で、一私鉄が果たして10km近くにも及ぶ高速運転対応トンネルが掘れたのかどうかも微妙なところ。