撮影写真より


大阪・弁天町の近く、かつて小豆島・四国方面行きのフェリーが発着していた「弁天埠頭」に残されていた看板。かつて発着していた関西汽船の窓口は今も機能しているが、それ以外の部分はほぼ廃墟状態。ただ廃墟状態の部分でも、芸術家のアトリエなど少々のテナントが入るため「現役の廃墟」ではない。そのため内部にはしつこく撮影禁止の張り紙がある。
地図上部の白い部分は大阪万博。北急が万博会場まで延ばしていた路線や、阪急千里線の臨時駅があったのが分かる。尚、図では「阪急千里山線」となっているが、現在の千里線に改称したのは万博前の67年。
他にも、主に平成以前に変化があった点として以下のようなものがある。これによると、前述の千里山線の部分を除き、この地図は大体70年下半期頃のものと思われる。

「中国縦貫道路」中国道広島道の正式名称。図では宝塚ICまで開通済み。宝塚IC開通は70年、その先である西宮ICまで開通したのが75年
新幹線が新大阪まで山陽新幹線開業は72年
地下鉄谷町線が東梅田〜天王寺まで…67〜68年開業、北部延伸は72年、南部延伸は80年
阪神国道線(野田阪神〜東神戸)路面電車。74年全線廃止
阪神大阪線(野田阪神天六)路面電車。72年廃止、バス転換
大阪タワー朝日放送の電波塔。97年一般公開中止、08年の移転に伴い、今後数年以内に解体
地下鉄中央線が深江橋まで…68年開業、85年延伸
電気科学館(本町)…89年閉館。後継は中之島の市立科学館
日生球場(森ノ宮)プロ野球近鉄の当時のホーム。84年藤井寺にホーム移転、97年いっぱいで閉鎖
未開業のニュートラム…81年開業
南海平野線・上町線阪堺線…80年に平野線廃止・他2線を阪堺電気軌道に分社
地下鉄四つ橋線玉出まで…58年開業、72年延伸
地下鉄御堂筋線我孫子まで…60年開業、87年延伸
阪神高速環状線・池田線・守口線・東大阪線・堺線・西大阪線のみ…70年までに6線とも開通

又、右部分の日本語部分は次のような記述がある。既に退色した部分は□でごまかしておいた。

大阪
大阪はその昔、"難波津"とも呼ばれ、古くから繁栄した庶民の街であり、また産業都市として東京と並び、文字通り日本の心臓部を占めている。
面積約203平方キロ、人口約304万(昼間人口400万)*1最新式の設備と生産方式をもつ各種の工場が点在する。林立する高層ビル、縦横に走る高速道路網、□□鉄網は新しい大阪を象徴し庶民的な□□かいムードの中にも、たくましい生活力があふれている都市である。

*1:平成21年6月現在、面積約222平方キロ、人口266万。昼間人口は平成17年現在336万人