撮影写真より


中国JRバスのガーラ(641-7808)。本来あり得ないスタイルの後部行先表示の通り、貸切転用車。見えにくいが側面の行先表示も、純正に比べて小さい。ガーラは初代・2代目共々、当初から高速バス用途で製造されたリア1枚ガラス仕様を除き、左右の分割リアガラスのおかげで、特に貸切からの転用車は行先表示をどうするかで各社が結構苦心。初代登場当初は、高速バスの後部の行先表示が義務化されていなかったので配慮は必要がなかった。
初代はオリジナルサイズの小型の方向幕・LEDだったり、板(いわゆるサボ)で対応していることが多かった。2代目は、1枚ガラスと同じ位置に表示を付けることが多く、側面共々、LEDだと特に夜は板よりも大きく見やすくなるが、ボディへの大き目の穴あけ加工が2か所も必要になるので手間も費用もかかる。これがセレガだと側面だけで済むのだが、中国JRバスは今の貸切車の殆どがガーラなので、このような二度手間が発生してしまった。

越堂(石見交通)


石見交通波根線(旧出雲線)が現在終点としている越堂バス停。国道9号線にある普通のバス停で、出雲・石見の境になる出雲市大田市の境のすぐ近く。少し北に田儀の集落がある。石見交通で現在出雲市にあるバス停は、越堂と西隣の田儀小学校入口の2か所だけ。当然ここが最東端となる。
大田方面は現役だが、出雲市駅方面は07年に出雲線が廃止されて以降、ここを通る路線は存在しない。標柱は時刻表を剥がした跡があるだけで何も書かれていないが、看板には「次はJA田儀支店前」という表記や、一畑バス石見交通の名前を消した跡が残る。隣のJA田儀支店前のバス停自体は、出雲線廃止後空白となった越堂~小田の代替である多伎循環バスのバス停として、旧街道沿いに現存。



越堂行きのバスは、東側の道を通ってUターンし大田方面に戻る。乗客がいる場合、9号線から外れた直後に停車するため、出雲市駅方面の標柱は降り場としては使われず完全スルー。越堂~小田の9号線沿線のバス停は、多伎循環バスが通る箇所以外は全て撤去されているため、一応ここで終点ということを示すために名前だけ書かれた標柱を残しているということか。

バス停


こちらは大田バスセンターのバス停標柱。田儀線と知井宮・出雲市と書いてあった跡がある。更に波根線と書いてある部分の下には、出雲線と書いてあった跡がある。

標柱の下にある路線図の跡。大田から出雲市までの路線がはっきり書かれており、出雲市から先は松江温泉、大田からも江津・浜田・益田まで書かれている。大田~益田は今も残っているが、もしかすると以前は松江~益田の島根縦断路線があったのだろうか。
大田~出雲市は2ルートあり、まず多伎まで病院や波根を通るルートと通らないルート。通らない方は9号線を直進していたか?もう一つが久村からの分岐で、湖陵町経由と知井宮経由。現在は出雲市になった旧湖陵町は9号線が、知井宮は9号線の旧道が通っており、一畑バス出雲市~小田の路線も以前は現道・旧道経由が存在した。一畑バスの方は現道経由のみが残っており、旧道経由は出雲市から途中の江南までスサノオ観光江南線に引き継がれた。現存こそするものの、現状は一畑バスは一日3往復・スサノオ観光は一日2往復+区間便1往復と、いつ消えてもおかしくない状況でかなり厳しい。
出雲~松江はだいぶ前に廃止になっており、自治体こそ今は出雲市松江市で隣り合っているが、今は合併前の町営バスを引き継いだ各コミュニティバスがかなり途切れ途切れになっているだけ。

撮影写真より


石見交通大田バスセンターにあった古い時刻表。地方のバスターミナルによくある、昔の時刻表や路線図が裏返った状態で残っているパターン。写真を反転すると、平成13年=01年10月当時の時刻表であることが分かる。下は参考程度に現在の時刻表。

01年に無かった路線のうち、川本線は当時中国JRバスが運行していた。
便数は若干減っている程度で、現在は「大田・江津線」となっている国道9号線西方面の路線は、当時は「東部国道線」と名乗っていた。山口線・富山線・大屋線は、便数こそ変わらないが、現在は3路線全便が土日運休。都賀線は10年に廃止。
最大の特徴は、01年当時は国道9号線を東へ行く、出雲市駅行きの出雲線が存在したこと。当時の半数の便+後身となる現在の波根線全便は、出雲市(01年当時は多伎町だが、かねてから出雲・石見の境)に入ってすぐの越堂までだが、07年まではうんと遠くの出雲市駅まで乗り入れていた。但し01年の時点で既に大田~出雲便は平日2往復のみ、日祝運休、土曜は何故か4往復に増えていた。

撮影写真より


熊本電鉄ノンステップバス(KL-LV280L1改)。フロント部分と側面には、熊のキャラが元々『TO熊カードも使えるヨ!』と言っていた。TO熊カードとは熊本エリア共通磁気カードのことで、「くまモンICカード」としてIC化されたため現在は販売・利用ともに終了。このためフキダシのTO熊の部分だけ消され、『   カードも使えるヨ!』と妙な空白が出来てしまった。くまモンIC導入と同時に、交通系ICカードの全国相互利用にも対応するようになったため、単にICと書き換えてもよかったのでは?

撮影写真より


モーターショーより、レクサスブースにあったLCのオープンモデル(コンバーチブル)。一応後部座席もあるのはあるが、これを本当に座席と言っていいのかと躊躇うくらい、あり得ないくらい狭い。ノーマルのLCも2人乗りにしか見えないが、実際は何とか座れる程度の後部座席が付いた4人乗り。レクサスは以前もSC・ISにオープンモデルが存在し、それらもやたらと狭い後部座席をシート扱いして無理矢理4人乗りとしたが、LCはそれらよりも更に狭い。シート自体も殆ど垂直なので、子供でも拷問レベル。最早人形くらいしか座れないかも。

撮影写真より


15年前の東濃鉄道。FF-1010という車番が書かれている。今の東鉄バスはここ数年の車両は希望ナンバーで導入されているが、それ以前は特に車番は設定されずナンバーの番号がそのまま使われている。他の写真から、どうやら平成初期の導入分までは独自の車番が使われていた模様。
この車番の意味は不明。Fの片方はふそうの可能性があるが、他は全く分からない。検索しても、昔のサイトはサービスごと消えてしまった例が多発したからか、新しめの車両や近年の中古車しか引っかからない。こうしてネットでも昔の資料が続々消えていく。