地図より


岐阜県可児市の墓地。右側の「河合墓地」は普通の墓場で説明も墓地。しかし左側の説明は、普通の墓地ではなく”軍人墓地”という別のカテゴリになっている。わざわざ軍人の墓地専用のカテゴリが存在しているところに妙に感動してしまうが、そもそもどっちもひっくるめて墓地でいいとも思うが。左側は名前も「大東亞戰爭 殉國戰士之墓」と碑の表記通りオール旧字体で登録されているのも誰かのこだわりか。

撮影写真より


富士急シティバスUAは、数少ない大型路線車の一つ。型式はKL-UA452PANで、UAのP尺は全長11.3mもあり、横から見ると特に長さを感じられる。その上自社発注の富士新7Eは今となっては全国的にもかなりの貴重品。
この車両は富士急グループ各社に配分されているが、中型で賄える路線が多い富士急シティバスの中ではオーバースペック感が強い。

地図より


奈良県生駒市の国道163号・高山大橋交差点は、高架(建設中)に挟まれた側道×川に挟まれた県道という珍しい交差点で、交差点のサイズだけで見ると相当広い。道路はいずれも一方通行。
4方向の右折レーンが端から端まで誘導しており、故にゼブラゾーンだらけの異様な姿。この上には高架の橋が架かるため、いずれ上空からは見られなくなるが、肝心の高架は前後のバイパス工事の完成目途が立っておらず、実質休止状態にあるため、現状は橋桁だけ作って放置されている。

地図より


名鉄知立駅のすぐ隣にあった三河山線の三河知立駅は、知立駅の高架化に伴い、高架工事コスト削減と近すぎた知立駅から離すべく、高架化対象外エリアである1km近く離れた場所に移転。史跡アイコンが付いている「旧三河知立駅」だが、旧駅になったのはまだ半月前であり、Googleマップで史跡とされているスポットの中では恐らく最も新しい。

元々この近辺で一番最初に出来た路線が現在の刈谷三河知立であり、三河知立は最初の「知立駅」。あとから現在の本線が出来、「知立駅」のすぐ隣に新知立という駅を開設。名鉄成立後に2駅は知立駅として統合したが、微妙に離れている・且つ手狭。このため現在の場所に別の知立駅を新設し、旧知立駅三河線側を三河知立・本線側を東知立として分離したものの、東知立の方は10年ほどで廃止。

地図より



三重県亀山市の関海洋センター隣の銅像には、Googleマップでは「町長の像」とされているが、実際の像のタイトルは「躍動」で、どう見ても町長感がない。素晴らしいなる口コミが付いているのも謎。
町長とは、亀山市に合併される前の'05年まで存在した関町の町長のことを指すと思われ、この像もあまり新しくは見えないため関町の頃に造立されたと思われる。この像と町長の実際の関係は、せいぜい題字の揮毫くらいか。

地図より


富山地鉄電鉄富山駅手前の枝毛のような線路が、かつてJRと繋がっていた短絡線の名残。ここを介して'90年代まで国鉄・JR側の特急が地鉄に乗り入れていた。電圧が異なるため、わざわざデッドセクションを設置していた。
元々地鉄とJRの線路は隣同士だったが、間に割って入るように新幹線が作られたため短絡線も切断。あいの風の線路も新幹線の北に移動+高架化したため物理的に再接続も不可能になり、更に地鉄自身の高架化工事も少し前に始まっており、この短絡線跡もじきに消滅。
現在でも魚津で地鉄×あいの風の線路は一応繋がってはいるが、現在はJR側の検測車乗り入れか地鉄車両の搬出入くらいしか使われていない。

撮影写真より


元々車外広告が多い三重交通では、スペースの狭いポンチョでもしっかり確保。さすがに大型中型のようなバックカメラ両サイドの広告枠こそないものの、ポンチョで後部に広告枠自体を、それもエンジンリッドの部分に設置している例はかなり希少といえる。隣を見ての通り、この細長い広告枠は元々他の車両でも使われているからこそ出来たのかもしれない。
そもそもエンジンリッド部分なんて狭すぎて設置する気が各事業者にないといった方が正しいか。あるにしてもブラックアウト塗装の部分を使う。