撮影写真より


弘南バスで社番11401-2を名乗るエルガミオ(KK-LR233J1改)だが、希望ナンバーは社番と全然関係ない6番。弘前ナンバーが登場した頃の登録車で、登録順に1番から振られている模様。
京都市バスの中古であり、市バス時代はナンバー496。側面の行先表示は中扉の後ろから前に移動されているが、後部ナンバー位置はそのままであり、中途半端な位置でラッピングの配置も一苦労。この時代のエルガミオの後部ナンバーは、中央下部に配置し、ナンバー灯はいすゞ伝統の両側だったが、京都市バスは広告枠と【バスの発進にご協力願います】の札を配置するため、ほぼここしかないという中途半端な位置になり、ナンバー灯も両側では入らないので上に1個だけ。

撮影写真より


西工でパッと見でどこのメーカーか分からなかった頃のバス。中身はふそうのU-MP218M、旧熊本市営バスから熊本都市バスに引き継がれた2891号車。
当時ふそうでは標準ではなかった角型ヘッドライトであることも分かりづらくさせている。運転席側でないためエンジン通気口も見えず、決定的なのは前輪ハブの三菱マークくらい。

撮影写真より


九州産交バス177(KL-HU2PMEA)
純正ならブルーリボンシティとなるところを西工で架装。KL-HUと西工96MCの組み合わせは、産交と西鉄くらいしか導入されず、且つ両社とも1回のみに終わったため、同じ日野でも中型では若干数が九州向けに生産されたが、それよりもはるかに希少。産交バスでは3台在籍し、いずれも'02年式ながら今も現役。

後ろからの見た目はMPに似ているが、エンジン通気口はMPよりも大きめで、前輪ハブがMPと異なる。その前輪ハブはLVと似ているが、これも厳密には形が違う。そして日野の伝統なのか、58MCの頃から引き続いてテールランプの位置が低い。当時他のメーカーはいずれもガラスのすぐ下であり、のちにPJ-LV/KV向けでは、純正のエルガに合わせてこれ以上にかなり位置が下がるが、フェンダーや窓枠が変更された改良後の車体であり、改良前の車体ではHUだけの仕様。どことも似つかない位置は見比べると明らかに違和感。テールランプの間にある点検用の蓋も、純正同様日野の伝統装備の一つ。

撮影写真より


西日本JRバス丹波営業所のバスは、園福線の沿線である福知山や園部エリアの広告を入れていた。秋に京都市内に増援として運用される場合でも広告はそのままだった。
園福線廃止と共に京丹波営業所も閉鎖となるため、丹波地域の広告が入ったJRバスはもう二度と見られないこととなる。この廃止により、京都府内のJRバスの路線バスはいよいよ高雄京北線1つを残すのみとなったが、こちらは観光・通学とも需要があるため廃止にはそうそうならない。

地図より


岐阜県可児市の墓地。右側の「河合墓地」は普通の墓場で説明も墓地。しかし左側の説明は、普通の墓地ではなく”軍人墓地”という別のカテゴリになっている。わざわざ軍人の墓地専用のカテゴリが存在しているところに妙に感動してしまうが、そもそもどっちもひっくるめて墓地でいいとも思うが。左側は名前も「大東亞戰爭 殉國戰士之墓」と碑の表記通りオール旧字体で登録されているのも誰かのこだわりか。

撮影写真より


富士急シティバスUAは、数少ない大型路線車の一つ。型式はKL-UA452PANで、UAのP尺は全長11.3mもあり、横から見ると特に長さを感じられる。その上自社発注の富士新7Eは今となっては全国的にもかなりの貴重品。
この車両は富士急グループ各社に配分されているが、中型で賄える路線が多い富士急シティバスの中ではオーバースペック感が強い。

地図より


奈良県生駒市の国道163号・高山大橋交差点は、高架(建設中)に挟まれた側道×川に挟まれた県道という珍しい交差点で、交差点のサイズだけで見ると相当広い。道路はいずれも一方通行。
4方向の右折レーンが端から端まで誘導しており、故にゼブラゾーンだらけの異様な姿。この上には高架の橋が架かるため、いずれ上空からは見られなくなるが、肝心の高架は前後のバイパス工事の完成目途が立っておらず、実質休止状態にあるため、現状は橋桁だけ作って放置されている。