撮影写真より


西工でパッと見でどこのメーカーか分からなかった頃のバス。中身はふそうのU-MP218M、旧熊本市営バスから熊本都市バスに引き継がれた2891号車。
当時ふそうでは標準ではなかった角型ヘッドライトであることも分かりづらくさせている。運転席側でないためエンジン通気口も見えず、決定的なのは前輪ハブの三菱マークくらい。

撮影写真より


九州産交バス177(KL-HU2PMEA)
純正ならブルーリボンシティとなるところを西工で架装。KL-HUと西工96MCの組み合わせは、産交と西鉄くらいしか導入されず、且つ両社とも1回のみに終わったため、同じ日野でも中型では若干数が九州向けに生産されたが、それよりもはるかに希少。産交バスでは3台在籍し、いずれも'02年式ながら今も現役。

後ろからの見た目はMPに似ているが、エンジン通気口はMPよりも大きめで、前輪ハブがMPと異なる。その前輪ハブはLVと似ているが、これも厳密には形が違う。そして日野の伝統なのか、58MCの頃から引き続いてテールランプの位置が低い。当時他のメーカーはいずれもガラスのすぐ下であり、のちにPJ-LV/KV向けでは、純正のエルガに合わせてこれ以上にかなり位置が下がるが、フェンダーや窓枠が変更された改良後の車体であり、改良前の車体ではHUだけの仕様。どことも似つかない位置は見比べると明らかに違和感。テールランプの間にある点検用の蓋も、純正同様日野の伝統装備の一つ。

撮影写真より


西日本JRバス丹波営業所のバスは、園福線の沿線である福知山や園部エリアの広告を入れていた。秋に京都市内に増援として運用される場合でも広告はそのままだった。
園福線廃止と共に京丹波営業所も閉鎖となるため、丹波地域の広告が入ったJRバスはもう二度と見られないこととなる。この廃止により、京都府内のJRバスの路線バスはいよいよ高雄京北線1つを残すのみとなったが、こちらは観光・通学とも需要があるため廃止にはそうそうならない。

地図より


岐阜県可児市の墓地。右側の「河合墓地」は普通の墓場で説明も墓地。しかし左側の説明は、普通の墓地ではなく”軍人墓地”という別のカテゴリになっている。わざわざ軍人の墓地専用のカテゴリが存在しているところに妙に感動してしまうが、そもそもどっちもひっくるめて墓地でいいとも思うが。左側は名前も「大東亞戰爭 殉國戰士之墓」と碑の表記通りオール旧字体で登録されているのも誰かのこだわりか。

撮影写真より


富士急シティバスUAは、数少ない大型路線車の一つ。型式はKL-UA452PANで、UAのP尺は全長11.3mもあり、横から見ると特に長さを感じられる。その上自社発注の富士新7Eは今となっては全国的にもかなりの貴重品。
この車両は富士急グループ各社に配分されているが、中型で賄える路線が多い富士急シティバスの中ではオーバースペック感が強い。

地図より


奈良県生駒市の国道163号・高山大橋交差点は、高架(建設中)に挟まれた側道×川に挟まれた県道という珍しい交差点で、交差点のサイズだけで見ると相当広い。道路はいずれも一方通行。
4方向の右折レーンが端から端まで誘導しており、故にゼブラゾーンだらけの異様な姿。この上には高架の橋が架かるため、いずれ上空からは見られなくなるが、肝心の高架は前後のバイパス工事の完成目途が立っておらず、実質休止状態にあるため、現状は橋桁だけ作って放置されている。

地図より


名鉄知立駅のすぐ隣にあった三河山線の三河知立駅は、知立駅の高架化に伴い、高架工事コスト削減と近すぎた知立駅から離すべく、高架化対象外エリアである1km近く離れた場所に移転。史跡アイコンが付いている「旧三河知立駅」だが、旧駅になったのはまだ半月前であり、Googleマップで史跡とされているスポットの中では恐らく最も新しい。

元々この近辺で一番最初に出来た路線が現在の刈谷三河知立であり、三河知立は最初の「知立駅」。あとから現在の本線が出来、「知立駅」のすぐ隣に新知立という駅を開設。名鉄成立後に2駅は知立駅として統合したが、微妙に離れている・且つ手狭。このため現在の場所に別の知立駅を新設し、旧知立駅三河線側を三河知立・本線側を東知立として分離したものの、東知立の方は10年ほどで廃止。