長門市駅のホームに隣接する線路にある謎の鳥居。同じ長門市内にあり、山を越える参道に沿ってずらりと鳥居が建つ元乃隅神社のオマージュとのこと。このホームは既に廃止済なので列車の運行に影響はないが、肝心の説明がどこにもないため、異様な光景にしか見えない。レールの先に何かを祀っているのではないかと思ってしまった。
問題
文系連想"十三人の合議制の一人 / 平治の乱で源義朝と共に戦う / 鎌倉幕府公文所の寄人 / 苗字は武蔵国の郡に由来"
足立遠元。それなりの要職に就いていたが、史料に出てくるのは成年の50年弱の間までで、生没年すら分かっていない。足立郡は今の埼玉中部にあった南北に長い郡部で、明治初期に南北に分裂。今も残るのは北足立郡伊奈町のみ。地名として残る足立区は、足立郡の中でも一番南の部分に当たる。
十三人の合議制は、頼朝の死の直後の鎌倉時代初期に存在した、当時の有力武士13人で構成された幕府の首脳陣。今度の大河ドラマ・鎌倉殿の13人は正にこれが元ネタ。選択肢のうち、安達盛長・中原親能も13人に含まれているが、土肥実平はもう少し前の時代で、幕府成立前に死亡している。
阪急西京極(京都市バス)
市バスで珍しく、駅前なのに名前に前も口も付かなかった。後に改名して葛野大路花屋町となったが、この形態の名前は今も叡電元田中に残る。
この標柱は数十年前から残る古いタイプ。今でも仮バス停を始め結構現役の標柱が残っているが、平成に入ってから微妙に変更されており、この改良前のタイプはかなり少なくなっている。改良ポイントは、市バス看板はガラスにアルミの枠を被せてあったのがプラスチック1枚物に・前面の停留所名は鉄板からプラスチックに、更にのちに手書きからラミネート直貼りに・市バス看板の下にある停留所名プレートは撤去。停留所名プレート付の標柱は特に少ない。阪急西京極の標柱自体は改名後も使われているが、市バス看板が交換され、プレートも撤去された。