地図より


京王井の頭線代田連絡線跡。第二次大戦末期の東京大空襲で車両が被災・不足した井の頭線への車両送り込みのため、付近を通る小田急からの連絡線を突貫工事で敷いた。当時はどちらも同じ東急の路線で、そもそもどちらも元々小田急の路線だった。
間もなく状況が改善し、突貫工事なので線路がすぐに劣化し、車両のやり取りもトレーラーで行うようになったため、開通から数年であっという間に廃止・撤去されてしまった。跡地は即座に宅地化されたため殆ど跡も残らず、井の頭線側に僅かに残ったカーブした家の並びが唯一の名残。井の頭線が他路線と繋がっていたのはこの時のみであり、以降首都圏の私鉄でありながら、他の乗り入れが無い独立した路線に。京王の本線系統とはそもそも線路の幅が違う。