撮影写真より


以前ストリートビューでの画像で取り上げた京都・三重県境にある「二本杭」の現地に行ってみた。
大和街道沿い、江戸時代当時の国境を挟んで「従是東伊賀國」「従是西山城國」の石碑が建つ。石碑の間には現在も県境があり、路面の舗装が変わる手前が京都府南山城村、奥が三重県伊賀市。協議により明治初頭に伊賀の碑は新道沿いに移設されたが、平成に入って旧道側の伊賀碑が増設されて文字通りの二本杭の姿が復元された。
南山城側は山を下りないと家が無いが、伊賀側は県境ギリギリまで家が建っており、石碑の裏の家も伊賀側だが、ここは地方の境でもあるため、ちょっとでも場所がずれると三重県民=中部エリアから京都府民=関西エリアの扱いになるのが興味深い。テレビも名古屋キー局が映るのか大阪キー局が映るのかといったことがかなり気になる。
電力も三重県中部電力京都府関西電力の管轄になるため、県境は両側ともギリギリ手前で電線が途切れており繋がっていない。電柱番号のマークも数十メートルしか離れていないのにそれぞれ異なる。
旧街道の幅は車1台分ほどしかないが、伊賀側は県境のすぐ近くに三重交通と同じ形のバス停があり、「しまがはら行政サービス巡回車」というワゴン車が平日に乗り入れ、島ヶ原駅・支所(旧島ヶ原村役場)方面へ運行している。バス停の横には車1台分が転回出来そうなスペースがあり、県境は越えずにここで折り返す。