震災2日前の河北新報

震災発生の僅か2日前、自分は仙台にいた。その時たまたま地元紙の河北新報を夕刊とも買っており、今考えると震災色の無いメディアの中では最末期のもので、震災直前の平和な東北が垣間見える貴重な資料。これを少し取り上げてみようと思う。


朝刊は後日として、先ずはいきなり夕刊。この日は昼に震度5弱地震が発生、沿岸各地に津波注意報が発令され、実際に50〜60cmの津波が観測された。夕刊1面には当時の気象庁のコメントが記されている。

「今回の震源宮城県沖地震の想定域から離れている。現時点で関係には言及できない」

のちにこの地震が大震災の前震だったことが分かったが、この時は誰もそんなことが予測出来ず、まさかこの2日後に想定域外から再び、それも更に強い地震が起こるなど誰一人知る由も無かった。この宮城県沖地震は今回の大震災とは別の地震であり、この海域で再び大きな地震が起こる可能性がまだ残されている。
ちなみに1面には南三陸町志津川本浜の陸門を閉鎖する様子を写した写真が掲載されている。この地区は2日後の津波でほぼ全ての建物が消滅、この門も跡形も無くなったものと思われる。


中面にもこの地震に関する記事がある。

津波に備えて宮城県南三陸町志津川の旧魚市場では、漁業関係者が収穫したワカメを入れるかごやフォークリフトを防潮堤の内側へ運び出す作業に追われた。漁業男性(45)は「海面が大きく変化していて不安だ。昨年2月のチリ大地震津波に続く被害がなければいいが…。」と気をもんだ。

文中のチリ地震津波志津川では1.3mの津波を観測、県内では26億円もの漁業被害に遭った。大震災で志津川を襲った津波はそれの10倍以上の15m、この男性の不安は想像を遙かに超えるレベルで的中してしまったのである。県内の漁業被害額も6600億ととても比較にならない規模。
他にも、太白区での15世帯での一時的断水や大船渡での2000世帯への避難勧告についても載っていた。これも2日後の大震災では規模が甚大なものになり、仙台市では一時23万戸が断水した。これは仙台市のほぼ半分に相当する。