仙台

地震の僅か2〜3日前、もう永久に戻ってこないであろう「震災」のイメージが全くない頃の仙台のバス。この時は本当に活気があった。

仙台市営のフロント2枚ガラスのキュービック、通称東武マスク。ここもキュービックの独特な顔を嫌った事業者で、富士重工は毎年入れたのに純正はこれ以前には80年代に2回だけ。




仙台市営でも数少ない市外路線だった、名取市閖上行き。QMAのエフェクトでよく出てきたから読めるようになったこの閖上も、津波で僅かな建物を除きほぼ何もなくなってしまった。




名鉄バスを中心に中古が目立つ宮城交通名鉄・西武の次に多いのがメーカーのカタログで使われたサンプルカー。この車両の仕様(長尺+前寄りの側面行き先表示+銀サッシ+中扉グライド式)はどこにでもいそうに見えて実は殆ど存在せず、唯一名古屋市営にのみ導入されたため一瞬そう思われがちだが、名古屋の場合屋根のクーラーユニットが中央にあるためこれと異なる。しかもこの車、どう見てもKC-代にしか見えないが実はKL-代。




市営・宮交に続く仙台第3の路線バスが仙台駅〜錦ヶ丘を結ぶ愛子観光バス。このような全面広告車でも、仙台のバスで唯一の方向幕のためすぐ見分けが付く。錦ヶ丘は丘の上にあり、また地盤も強いため地震の被害はライフラインの切断以外はなかった模様。




現在建設中の仙台市地下鉄東西線のPRバス。開業予定は4年後だったが、地震の影響で大きく遅れるのは避けられそうにもない。東側の終点である荒井は、10mの津波で全て水没した荒浜のすぐ手前で、ここも津波にやられた模様。駅が開業した際には、駅前広場あたりに慰霊碑でも建てられるのだろうか。




何故か仙台駅に突如現れた、本来来るはずがないJRバス東北の一般路線車。宮城県内からは既に全て撤退しているので、車両も福島ナンバー。訓練車と書いてあるが、訓練にしてもわざわざ福島から仙台まで一般車で運転するのだろうか。



仙台から少し足を延ばし、内陸のため被害がライフライン以外は少なかった村田町にあるミヤコーバス村田営業所へ。ここには買いたての中古車がよくいるということで行ってみたら、名古屋市営、特に基幹バスがずらり。

殆どは元々基幹1系統で使われていた車両。宮交はこれで最早第二の名古屋といっても差し支えがない。が、この車が走り出すのは一体いつのことになるやら。